椅子、家具、空間 「本物」が永く紡いでゆく 美しい暮らし 【前編】織田コレクションギャラリー編

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2025年9月、世界的な椅子コレクター・研究者の織田憲嗣さんを北海道にお訪ねしお話を伺いました。造形美、生活道具としての美、そして時代を超えて人に豊かさをもたらす本質的な美を備えた椅子の名品の数々。その収集と研究を通じて磨き続けてきた「本物」へのまなざしを、織田さんは私たちに惜しげもなく教えてくださっているように感じました。

東川町のコレクションギャラリーと東神楽町のご自宅での対談の模様を、北洲の住宅設計に携わっている管が、2回シリーズでお伝えします。

織田 憲嗣(おだ のりつぐ) さん

椅子研究家・東海大学名誉教授

ル・コルビュジエの椅子「LC4」の出会いをきっかけに世界の椅子を収集、世界的な椅子研究者として活躍。1994年コレクションとともに北海道旭川へ移住。東海大学教授を退官後、展覧や講演を通じ「美しくていねいに暮らす」喜びを伝え続けている。

村上 ひろみ

株式会社北洲 代表取締役社長

菅 努

株式会社北洲 チーフデザイナー

場所

せんとぴゅあ

所在地:〒071-1426 北海道上川郡東川町北町1丁目1番1号

公式ホームページ:https://higashikawa-town.jp/CENTPURE




椅子は人に近い家具
デザインと機能に宿る高い精神性が
人を魅了してやまない

北洲代表 村上(以下 村上) 織田先生のコレクションは、20世紀の名作家具・椅子を中心とした世界最大級の個人コレクションですね。私たちが特に感銘を受けるのは、一つ一つの椅子がデザイナーの哲学、それらが作られた時代の文化、人々の暮らしなどを宿し、物語っている点です。先生はその背景までを含め、デザインの本質的な価値を私たちに伝えてくださっていると感じます。

織田憲嗣氏(以下 織田) ありがとうございます。人はなぜ椅子に魅了されるのでしょう。椅子には、体を受け止め支える支持具という物理的な意味に加え、地位を表す精神的な意味があります。

 人類の祖先が直立歩行を始めた頃、後ろ足2本で全体重を支えるため体が疲れたことで、腰をかけるという動作の発生に繋がりました。ところが適当な大きさの石や倒木などがたまたま見つかっても、みんなが腰をかけることはできない。力を持った権力者がそこに座り、他の者は地面にそのまま座る。ここで椅子が「地位を表す」という精神的な意味が発生し、それがもう何万年と続いているわけです。

 現代社会で「社長の座を狙う」「議長の椅子を狙う」などと言いますが、深層心理の中にある欲が椅子に姿を変えて現れているのです。また「チェアマン」と呼ばれる人がいますが、これはまさに椅子という単語がトップの座を表現しています。よりよい椅子を求めるというのは、人間の深層心理の中にあるものなんですよ。

村上  先生ご自身が椅子に魅了されたきっかけは何だったのですか。

織田 出世欲は持たない私でも椅子の精神的な面での魅力には惹かれました。物理的な道具としての機能性も、彫刻作品にまさるほどの造形的な美しさも、大きな魅力です。

20世紀には随分たくさんの名作が生まれました。その一脚が玄関ホールにあると、そこに腰をかける機能よりも、お客様が見て「美しい椅子がある」と感じるオブジェとして機能します。リビングにあると「機能を持った彫刻作品」として空間を引き締めます。あるいは家族それぞれのパーソナルチェアとして、各自の居場所を示す一つの道具になります。

椅子は非常に人に近い道具でもあります。その分かりやすい例として、椅子には人間の体と同じ名称がついています。背、肘、足、それからシートというのはお尻のことです。

 また、椅子という単語を少し大きな意味で捉えると、体を受け止め支える支持具として、ベッドも、枕も、電車の吊り革も椅子の仲間に入ります。時代劇で殿様が肘をつく脇息もそうです。デンマークでは脇息をモダンなデザインにして壁にかけ、もたれるためのスタンディングチェアとして商品化されたこともありました。それから、杖、ステッキも。シートステッキといって、地面に突き刺し持ち手を開いて腰をかけるユニークな腰かけもあります。

家具の収集はやがて椅子研究の道へ
織田コレクション形成秘話

村上  本当に奥が深いですね。「織田コレクション」はどのような流れで形成されていったのでしょうか。
織田  大学を卒業するとき、私の小さなアパートにはもうすでに4脚の椅子がありました。
 就職した百貨店の宣伝部には世界のインテリア雑誌、建築雑誌がたくさんあり、次から次に見たり読んだりする中で共通して登場する椅子が気になりました。それが世に言う名作椅子で、売り場に現物が展示され販売もしていたのです。どうしても欲しくなり、売り場の主任にお願いして1割引にしていただき、さらにそこから社員割、しかも10回の分割で給料から天引きで、最初に買った椅子がコルビジェの「LC4」でした。

LC4 シェーズ・ロング / ル・コルビュジエ  1929年発表。ル・コルビュジエが「休養の為の機械」と呼んだ、優美な曲線と機能性を兼ね備えた20世紀のマスターピース。

 そこから憑かれたように次から次と天引きで購入しまして。ボーナスの支給日に家でかみさんに封筒を渡しましたら、30万円ほどあるはずのボーナスが3万円しか入っていない、ということもありました。激しく叱られましたが、それでも止まらなくて100脚ほどは集めたでしょうか。

 その頃、アメリカの大手家具メーカー、ノル・インターナショナルの大阪事務所に、椅子の神様と呼ばれるウェグナーの椅子について問い合わせの電話を入れる機会がありました。すると今セール中だから見に来ませんかということで、ランチのついでに立ち寄ったんです。椅子を集めるのはもうやめようと思っていた時期でしたが、リストを見た途端に迷いが吹っ切れてしまい、450万円ほどの取り置きをお願いしました。ただし、「ある時払いの催促なし」という条件で。これからは椅子を研究の対象にしようと、その場で決心したのです。
 当時、デザイン事務所を運営していましたが、購入を決めたのと同時に同じ建物内にさらに一部屋を借り、椅子研究家の妹尾衣子さんと一緒に研究室「CHAIRS」を立ち上げました。
 それが3月。その年の12月に全部の支払いを済ませ、一気に椅子が届きました。そこからは単なるコレクターではなく、椅子を研究対象とする生活になり、コレクションはさらに増えていったわけです。

 当初は5年計画ぐらいでデンマークを研究し、その後スウェーデン、フィンランド、ノルウェー、それからドイツ、イタリアと計画していたのですが、あまりにも奥が深すぎて、40年以上経った今もデンマークの研究は続いています。



「織田コレクション」は
美しい生活文化、本物の美と出会う場として
未来に生きていく

村上  織田コレクションのこれからと織田先生のこれからのビジョンを教えていただけますでしょうか。
織田  今、椅子のコレクション総数は1400種類以上ありますが、私の研究資料である20世紀のプロダクトデザインから見たら5分の1でしかありません。その他の「生活デザイン」と位置づけられるものが織田コレクションの中核を成し、その多くが北欧のものです。

北欧諸国は国連が毎年発表する「世界幸福度報告書」のナンバー1からナンバー5にほとんど入っています。その背景の一つに1840年代に生まれたエレン・ケイという社会活動家・教育家の存在があります。彼女は「生活の中の美が人を幸せにする」と提唱しました。その後1919年にスウェーデンのグレゴール・ポールソンが「日用品をより美しく」ということを提唱し、これが北欧諸国に瞬く間に普及、普遍化していきました。そうしたことが一般の庶民の暮らしのレベルをどんどんと高めていったのです。

織田コレクションは、椅子をはじめとするいろんなプロダクトデザイン、文献類の資料も含めて数万点にのぼりますが、数年後に北海道東川町に日本初のデザインミュージアムがオープンするということで、このすべてを寄贈します。

実は20代の頃から日本にデザインミュージアムを作りたいという想いがあり、個人で作ろうと土地を買ったり、国内外からオファーをいただいたりもしましたが、最終的に日本のこの土地を選びました。後世の若い人たちが、ここへ来れば本物が観られる、オリジナルが観られる、あるいはルーツを観ることができる、そういう場所になると思います。そして、この地域のみならず日本全体の生活文化を高めていくと信じます。

 私自身のビジョンとしては、半世紀にわたり研究してきたことをまとめる本を2冊出したいと思っています。これまで10冊以上の本を出してきましたけれど、人生の締めくくりに書きたいと思っているテーマがありますので。

 この秋、私は東神楽町の自宅を離れ、札幌の小さなマンションに家内と2人で住むことにしています。でも、この東川町のデザインミュージアムとの関わりは生きている限りずっと続けていきたいと思っています。

 東川町は非常にユニークで魅力に富んだまちおこしを進めています。よそと同じようなことをやったり、大都市圏にあるものをねだったりするのではなく、地域にあってそれまで気がついてなかったものを活かす政策を20年、30年前から進めてきたのです。その結果、今、日本全国から注目される地域となり、北海道の自治体のなかで唯一人口が伸び続けています。

東川町で生まれた子どもたちには、「君の居場所」の象徴として
毎年デザインの変わる手づくりの椅子が贈られる

作り手も、売り手も、使い手も
美の視点を持ち
クオリティを高め続ける努力を

村上  東川町の住まいづくりに関しても興味深いものがございます。私ども住宅業界について織田先生からご覧になって、アドバイスをいただけませんでしょうか。
織田  2年前に広島県へ行ったとき、空港から市内まで行くバスの車窓から見た景色が今でも忘れられません。伝統的な赤煉瓦の家並みが続く集落があちこちにたくさんあったのです。その風景はヨーロッパの地方で出会う本当に美しい町村と比してもまったく遜色ありません。日本にもこんなに素晴らしい景観の集落があったのだと思い知らされた気がしました。
 かつての能登の黒い釉薬を使った瓦の集落も美しかったです。そういった伝統的につくられた住宅の美しさというものを見捨ててはいけないと思っています。

広島県呉市・赤煉瓦の街並み

 一方で、そういったところは現代生活を送るうえで、快適さにおいてはどうしても劣る部分があります。それを埋めてきたのがハウスメーカーであり、住宅に関わる様々な産業でしょう。その発展のためにも考えなくてはいけないことがあると見ています。

 以前、とあるハウスメーカーの新築住宅を見学し、大変残念に感じたことがあります。室内空間の整理整頓がまったくなされておらず、あたりにダンボール製の猫の遊具が散乱しているありさま。私の住まいに対する価値観や美意識とは対極的な世界が目の前に広がっていたのです。数千万円もかけて夢を叶えたはずの建物が、わずかな期間でこんな状態になっていいのかと。

 ハウスメーカーにとってお施主さんは、自社の営業担当者と同じくらい営業担当者に匹敵します。そのことを絶対忘れてはいけないと、そのときつくづく思いました。引き渡し後も定期的に訪問して住まい方をアドバイスしたり、コーディネーターが一緒に行って整頓を手伝ったりして室内空間のクオリティを上げてあげると、その家を訪れたお客さんが「この家いいね」「このメーカーいいね」と感じることになると思うのです。

 「三方よし」という言葉がありますね。つくる側、売る側、それを買う側、みんながよかったと思えるようなもののあり方こそ理想的です。これは住宅でも同じだと思いますよ。

村上  「つくる責任」「売る責任」「使う責任」ですね。胸に響きます。

ロングスパンの視点をもち
折に触れ4+1の寿命に目を向けよ

織田  物を見るとき、あるいは物事を考えるとき、ロングスパンで考えることが今の日本には非常に欠けていると思います。住宅は特にロングスパンで考えることが大事ですね。
 私は自分の家をつくる際、どんなことがあっても最短100年は持たせないといけないと思って設計し、構造材も吟味しました。年月に耐える物の寿命にはいくつかの要素があります。素材の寿命、機能性の寿命、強度の寿命、それからデザインの寿命、4つの寿命のどれか一つが欠けても、物自体の寿命はそこで終えてしまいます。

 デンマークのウェグナー生誕の町・トナーのミュージアムに行った際、そこで食事をごちそうになりながらそのような話をしたところ「いや、そんなことはない、もう一つある」と言われたのです。それは「パッション」だと。確かに情熱がなくなったらダメですね。時を超えて生き続けている「本物」には、パッションも含めたすべての寿命の火が燃え続けています。

 あまりにもファストでチープなものがもてはやされ、それが当たり前になっている今だからなおのこと「寿命」について考える機会を持つのはいいことだと思います。今、人類は地球2個分の資源を使っています。それがこれから先ずっと成り立っていくはずがありません。何かを買うときには、これは30年50年使い続けるという覚悟を持って買うとか。住宅であれば、自分の孫、ひ孫の代までずっと住み続けてもらう。あるいは代が変わってよその人に受け継がれたとしても、自信を持って引き渡しできるような暮らし方をしようと。これからはそういう生き方をしていく必要があるでしょう。

村上 私たち北洲の家づくりは「グッドエイジング」をコンセプトに、長く愛されることこそが本物であり、お客様の幸せにつながると考えています。先生のお話をうかがい、お客様と共感できる仕事を通じ、その家の価値をより豊かなものとして次の世代に渡していくことに真剣に取り組む必要を強く感じました。日本の住宅のトップランナーになる志を胸に、お客様の生活や暮らしを文化に変えていく努力を続けていくことへ、あらためて背中を押していただいた思いです。

【編集後記】

子供のころ私は木工職人や大工さんを身近で見て育ちました。

その後、建築や家具に関する書籍を読みながら、建築やデザインの道で生きていこうと決断しました。織田さんの存在は20代のころ、雑誌に掲載されていた連載コラムで知りました。唯一無二の視点で書かれたコラムは画期的で、実は今でも雑誌を保存しております。

それから長い月日を経て、直接お話しできたことは私の人生にとってかけがえのない経験となりました。織田さんのコレクターとしての一面と、より良い暮らしを日本に普及したいという熱意。この東川町にコレクションを寄付し、デザインミュージアムをつくりたいという素敵な想いを聞くことができました。  

  東川町では近年、移住者や日本語学校などの人口増加や、カフェ、雑貨店などのほかに文化的な取り組みが増えています。わずかな滞在での印象ですが、平和で成熟した町に感じました。今回対談した東川町のせんとぴゅあでは、北欧の名作椅子に座って読書を楽しむことができます。名作を日常に感じられる日本唯一の場所ではないかと思います。

  最近はインバウンドにより日本の良さが世界に紹介されています。衣食住の中でも特に食に関しては世界トップクラスのこだわりのある日本ですが、住まいに関してはまだまだ心地よい暮らしに向き合っていないと思います。

  「建築費の1割を家具や照明・インテリアのために」という考えがあれば、家具だけでなくその他のプロダクトも吟味し、一生付き合える椅子やモノを見つけることができ、その後の豊かな空間を想像して暮らす楽しみにつながるということを織田さんに教わりました。私もそれが理想だと思います。


 北洲では、家の性能をヨーロッパの成熟した住環境にすることと、末永く暮らしを楽しむとはどういうことなのかを考え、提案しています。

 私などはまだまだ未熟ですが、住宅展示場を設計する時の家具はできる限りつくり手の思いのあるものを入れています。良い椅子は人間工学・強度・デザイン・生産性などあらゆることに優れて美しいです。同じレベルで住宅もまた末永く遠い将来の自分や、さらに遠い将来、違うだれかにも愛されるものをと思っています。

 さて、インタビューは旭川の織田邸に場所を変えてまだ続きます。次回もお楽しみに。

管 努 記