椅子、家具、空間 「本物」が永く紡いでゆく 美しい暮らし 【後編】織田邸編

公開日:

2回シリーズでお届けしたCULTURE via LIFE 特別対談【後編】は、世界的な椅子コレクター・研究者の織田憲嗣さんを北海道にあるご自宅にお訪ねし実施しました。造形美、生活道具としての美、そして時代を越えて人に喜びをもたらす本質的な美を備えた椅子。その収集と研究を通じて磨き続けてきた「本物」へのまなざし。吟味を重ねた本物とともに東神楽の自然の中で美しくていねいに暮らす喜び。織田さんが教えてくださる CULTURE via LIFE は、感動に満ちています。

織田さんへの感謝を込めて、北洲の住宅設計に携わっている菅がお伝えします。

織田 憲嗣(おだ のりつぐ) さん

椅子研究家・東海大学名誉教授

ル・コルビュジエの椅子「LC4」の出会いをきっかけに世界の椅子を収集、世界的な椅子研究者として活躍。1994年コレクションとともに北海道旭川へ移住。東海大学教授を退官後、展覧や講演を通じ「美しくていねいに暮らす」喜びを伝え続けている。

村上 ひろみ

株式会社北洲 代表取締役社長

菅 努

株式会社北洲 チーフデザイナー

場所

織田邸

所在地: 北海道旭川市 

織田コレクション公式ホームページ:https://odacollection.jp/

2階のリビング



自然の光、彩りを取り入れ

暗さ、明るさを演出できる

室内空間

北洲代表 村上(以下 村上) 織田先生のコレクションは、20世紀の名作家具・椅子を中心とした世界最大級の個人コレクションですね。私たちが特に感銘を受けるのは、一つ一つの椅子がデザイナーの哲学、私ども北洲は岩手県発祥で、「暖かい住まいづくり」を使命に創業し、時を経るごとに価値も、住まう人の愛着も増してゆく「グッド・エイジング」な住まいをつくっていくことに愚直に取り組んでまいりました。

織田憲嗣氏(以下 織田) 岩手県の盛岡には一度しか行ったことがありませんが、きれいな街だなと思いました。当時アドバイザーをしていたハウスメーカーのセミナーがあって、翌朝には東京へ移動したのですが、着いた途端、東北で大きな地震があったと聞きました。あわてて連絡を取ったのですが、なかなか通じなかったのを覚えています。その2日か3日後に東日本大震災が起きてしまった。大変でしたね。

村上  あの震災でお亡くなりになったオーナー様が一人もいらっしゃらなかったのが唯一の救いでした。

 家ごと津波に100m流されたけど、中にいらっしゃるご主人様は無事だったとか、暖を取るのが困難な状況下でも家そのものが暖かかったので助かったとか、お褒めの言葉をたくさんいただきまして。家は躯体がしっかりしていなければならないということを、あらためて思い知りました。そして、住まいはその人の生命、人生の根幹であるという思いを強くいたしました。

 先生のこのお宅も、まさに先生の人生を反映したお住まいですね。素晴らしいです。

北洲建築士 菅(以下 菅)  写真で見て、いつかこの目で見たいと熱望していた先生のお宅にお邪魔することができ感激です。アルヴァ・アアルトの自邸や、フィン・ユールの自邸などを訪ねたことはありますが、それにも勝るような感動を覚えております。

織田 私、建築は素人ですが、この家は自分で設計しました。いろいろ考えるのが好きなのですよ。こんな楽しいことを、お金を払って建築家にやってもらうことはないと(笑)……全部自分でやりました。

村上 陰と陽のバランスというのでしょうか。この暗さと、広がりのある天井。素敵な空間ですね。

織田 1階のリビングと2階のリビングはつながっています。2階は天井高2400で、まあ普通のリビング。水平方向に広がりがあるので、なるべく薄暗くと。
 一方、1階は高さと明るさがあり、壁一面を窓ガラスにし、床も白のタイルにして思いっきり明るくし、極端に性格の異なる空間にしました。庭の草が萌えると、その緑が天井に反射しますし、冬は一面の雪でかなり明るくなるのです。

  日中でも暗いところと明るいところがあるのですね。家中のどこでも本が読めるくらい明るい生活環境の人が多い現代ですが……。

織田 リビングに天井直付けのシーリングランプを付けたりして光源が高くなると、一気にオフィシャルな空間になってしまいます。光源が低ければアットホームな空気になる。照明計画はとても大切です。至る所に照明を設け、薄暗い所でも、必要な時や場所だけ適宜明るくすればいいのです。

2階とゆるやかに繋がる開放的な1階リビング。断熱性に優れた木製サッシの大きな窓が庭との一体感を生み、白タイルの床が光を反射した明るく澄んだ印象でした。

 谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』にありますが、日本民族は世界でも特筆すべき「暗さの演出」ができる民族ですね。北欧の照明デザイナー ポール・ヘニングセンは「夜は昼にならない」という名言を残しましたけれど、夜は暗くて当たり前。ところが日本ではそれを明るく明るくと、戦後、蛍光灯を広めたのです。戦後復興には必要なことだったのでしょう。

 その立役者がパナソニック(旧ナショナル)だったわけですが、パナソニックの社長もここに来て、いろいろと楽しく話をし、照明に関しては自分の会社の問題点などを話してくださいましたよ。北欧では蛍光灯はまず見ない。工場の中ぐらいでしか見られないのです。

理想の家、理想的な空間をつくるには

「暮らし」に高い関心を持つことが

何より大事だと思っています

織田 この家の設計にあたっては、実は予算がなくて本当にローコストハウスだけれど、自分の美意識でこうしたいと思った通りにつくりました。

 積雪寒冷地に住宅を建てるのは、かなり難しいことですね。でも自分でどうしても設計したかったので、北海道内の建築物件の資料を読み漁りました。

 本当はデンマークレンガを輸入したかったけれど高くつくし、積層建築ではかなりハードルが高く断念。一般的なレンガも無くはないけれど、レンガ職人がほとんどいない。それで工業用のコンクリートブロックを使うことにしました。道内にコンクリートブロック造りの住宅がいくつかあり、その資料を見たり、昭和30年代、入植した頃に建てられ、離農した廃墟のコンクリートブロックの建物を実際に見に行ったりしますと、まったくクラックが入っていない。雨水が染み込んで凍結し、割れてしまうのが心配でしたが、それがまったくなかったので、北海道でも大丈夫なのだと。

 とはいえ温暖な地域の建築家が設計すると必ず失敗すると、よく言われます。実施設計は専門の設計事務所にお願いしました。壁は二重壁の外断熱で厚さ40cmあるため蓄熱しますし、夏は涼しい。

 工業用のコンクリートで作ったローコストな家であっても、空間の中に置かれる家具やインテリアアクセサリーなどのクオリティが高ければ、空間の質は非常に高いものになるんですよ。

 家をつくるときは、建物自体に予算を100%使い切ってしまうのではなく、90%で器を建てて、あとの10%は室内の家具や照明品やインテリアに使うと、かなり生活文化の高い良い暮らしが成り立つのではないかと思います 。

  そちらのポール・ケアホルムの丸テーブルと、上のペンダント照明、素晴らしいバランスですが、大きさなど最初の設計段階から計算されていたのですか? ほかの家具も設計時に想定されていたのでしょうか。

織田 もちろんです。家を建てるにあたって100分の1の家具の平面図を全部描いたんですよ、フリーハンドで。設計図面に家具を配置していき、結果的に空間の広さが決まったのです。全部自分の美意識で、こうしたいとね。おかげで数十年暮らした今も、飽きることがありません。

 その照明はね、カンディハウスの倉庫の中で壊れたのを見つけて1000円で買ってきて、自分で修理したんです。今、復刻していますが、このサイズはないですね。

 こちらは李朝の金庫。すごく裕福な所で使われていたもので、今ではほとんど残っていません。李朝専門の骨董屋さんで、見た瞬間にお金を気にせず買いました。2年がかりで分割しましてね。

  一つ一つが個性的で、すごく力強い椅子たちや調度品が多いと思うのですが、みごとな調和を感じます。どうやって調和させているのでしょうか?

織田 時代も地域も問わずに集めています。それが喧嘩をしていないというのは、僕自身の目で選んで、1人で買っているから。ここに家内とか子供たちの感性で選んだものも入ってきてしまうと、取り留めがなくなってしまいますからね。

 僕は北海道に単身赴任して、掃除、洗濯、炊事を全部自分で行う生活を7年間経験しました。これが本当によかった。生活者の視点を持てたのです。それまで関西にいたときは、午前3時までをノルマに仕事していました。ほんのちょっと寝て、また朝から事務所で仕事するという、墨汁みたいにブラックな仕事ぶりでした。

 けれど、生活者の視点を持つことによって、物の美しさや機能性を考えられるようになりました。

2階リビングでは、時間や雲の移ろいに応じて光と影が織りなす豊かな表情を感じられました。

 男性がもっともっと家事の分担をして子育ても手伝って、生活者の視点を持つようになると、いろんな所に気づきがありますね。男性がいかに暮らしに関わるか、これがいい住まいづくりの鍵だと思っております。

 この家にデンマーク大使が2度ほど遊びに来てくれたことがあります。外交官を何人か連れてきましたが、大使も、その外交官もみんなデザインに詳しいのです。大使ご自身もフィン・ユールとかポール・ケアホルムの家具をいくつも持っていて、外交官もみんなそうです。うちの椅子や家具を見て、これは持っている、これも持っている、次はこれが欲しいなとか、楽しそうに話をしていましたよ。日本の外務省はそういうことが言えるかどうか、はなはだ疑問ですね。

 つまり、もっともっと自分たちの暮らしを第一に考えるということ。仕事は第二でいいと思うんです。家族それぞれにとって一番の居場所がちゃんとそこに用意されれば、「居場所がない」なんてことはあり得ないのですよ。

 それとね、人間は隅っこが好きなんです。特に男性はね。だから隅っこは一番よい「コージーコーナー(心地よいちょっとしたくつろぎのスペース)」です。畳一枚分あればできますから、階段下でもどこでもいい。

 上質なシルクの絨毯と、自分の好きな椅子と、コーヒーテーブルと、それからテーブルランプかフロアランプ、そして膝掛け、クッション、できればオットマンチェア。そこにミニオーディオとか、写真集が何冊かとか、それだけで心地いいし、他の家族はここに来てほしくない。そんな家族一人一人の「居場所」があれば、家は最高の空間になります。

 大切なのは、すべてのものが同じクオリティでないといけないということです。

 イミテーションや価格訴求のものを一つでも入れてしまうと、全体が薄っぺらになってしまいます。

 この家の中には至る所にコージーコーナーを作っています。どんな高級ホテルの部屋よりも、この空間がいい。ここにいるときが一番心豊かになれる。それが家というものの理想じゃないかと思っています。広さ、狭さでは決してないのです。

 先生のお宅の写真や動画などをたくさん拝見してきましたが、実際に見て、空間に身を置くと、それを超える感動があります。インテリアの大切さ、素晴らしさ、本当にていねいな暮らしのありようが伝わってきます。

審美眼を育て、感性を磨く基本は

「本物」を愛し

大切に使い続けて引き継ぐこと

村上 このお住まいのかたちも、ここに置かれているたくさんの素敵な物も、そしてこの場所もすべて、素材からデザインまで一つ一つを先生が選ばれ、設計に生かされているのですね。

織田 まあ簡単に言うと、全部「本物」なんですね。イミテーションは一切ない。本物の持つ力はすごく大きいと思います。

村上 私ども北洲も「本物」にこだわりたいと考え、行動指針に「本物のかっこよさで前へ」を掲げています。本物こそがお客様の豊かな幸せをつくる、時を経ても本物はずっと愛され続けるという思いを全社員で共有し、会社のDNAとして受け継いでいこうと考えています。

織田 私もね、自分が考える「本物とは」を、日々気がついた時にメモし続け、それが数十項目にのぼっています。
 たとえば、本物は偽物ではない、コピーではない、イミテーションではない。本物とは、それを持つことで心が満たされる。本物には胸がうち震えるような満足感がある。本物とは唯一無二の存在……。
 本物の定義は幅が広いので、自分自身のために書き留めたのです。

 この家で使っている家具だけでなく、インテリアやアクセサリー類も含め、ほぼすべては半世紀以上前のものです。中には100年近いものもあります。そういう古いものでも輝きをまったく失ってはいないのです。国王のオークションとかヴィンテージショップなどで購入したものが多いのですが、そもそもそれを初代に買われた方が大事に使っておられたわけです。そういう物には、本物しか持ち得ない存在感であったり、デザインの力であったり、機能性があります。
 それがリペアされ、また新しい命が吹きこまれて、次の人がそれを受け継いでいくのです。

村上 過去に評価されたもの、長い年月を踏んで評価されたもの、そして、最近出てきたけれどもこれからも残ると思われるもの、どれも本物だと思うのですが、自分自身でそれを本物と見極める審美眼をどうやって養っていったらいいのでしょうか。

織田 私自身は学生時代から本物志向で、椅子や家具にかかわらず何でも「安物を買うぐらいなら、本当にいい物を1つだけ買おう」みたいなところがありました。

 これは学生時代、56,7年前にヨーロッパに行ったときに買ったロレックスのボーイズサイズ。当時、日本にはありませんでした。イギリスで購入し、いまだに使っています。全然飽きないし、体の一部のようになっています。

 また、これは私が百貨店の宣伝部に入社して1年目、23歳の若造が初任給37,000円の時に1万円で買ったジョストンズっていうスコットランドの会社のマフラーです。75%がカシミヤ、25%がミンクなので、しっかりしてるんですよ。今79歳ですが、たぶん一生使うと思います。

村上 その当時のジョンストンズは今ほど有名ではなかったですよね。先生の決め手はなんだったのでしょうか。

織田 有名ブランドだから買うのではなく、今この予算で買える「最高のもの」を買おうと。それは今も変わりません。

 ずっとさかのぼると、多分父親が本当に良い物を買っていたのを、知らず知らずのうちに引き継いでいたと思うのです。もちろん失敗もありましたけれど、自分で見て、手に取って、本当にこれはいいなと分かるわけですから。五感を使ってね。

 今のショッピングはバーチャルが多くなっていて、視覚だけで判断する必要があるから目を鍛える、知性を養う必要があるでしょう。

 この万年筆は大学4年の時に食費を節約して買ったモンブラン。こちらはコットンバーバリーのコート。どちらもまだ大事に使っています。

 マフラーやコートはシーズンが終わると必ずクリーニングに出し、万年筆はペン先がすり減っていくので定期的に修理に出しています。モンブランは僕の書き癖にあわせて調整してくれるんですよ。それがブランドの神髄だと思いますね。

 ルイヴィトンも日本にまだ入っていなかった頃、パリに行く友達に頼んで買ってきてもらいました。何年か使って中の部分の張替えが必要になった際、ハンドルの部分も張り直してもらいました。そしたらハンドルの色を日焼けした全体の革の色に揃えてくれるわけですよ。そういうことこそブランドがなすべき責任をちゃんと果たしているということなのではないでしょうか。

村上 私たちもそういう会社になっていかないと。
 いい物、本物を買い、それを大切に長く使うことで、審美眼はより洗練されていくものでしょうか。

織田 家内と結婚して50年以上になりますが、結婚して間もなくの頃の家内は、ごく普通の若い女性でした。けれど50年以上一緒にいるとね、ものを選ぶ判断の基準が私とほとんど一緒なんですよ。同じように生活し、よい物を使い続けることが、知らず知らずのうちに審美眼を育てる、感性を育てることになるのでしょう。

 もちろん新しいものもこれから見出して、将来に残さないといけないと思っています。ただ、その新しいものを見分ける審美眼、感性が、なかなか難しいです。

 「感性」を辞書で引くと「感動する力」。では感性を磨くとは具体的にどういうことかというと、「本物体験を重ねる」ことに尽きます。それは必ずしも高額なものを買うということではなく、そのあたりに咲いている花、自然の草木、それらをちゃんと観て、観察して、その美しさに感動する。そういうことが自分自身の感性を磨いていくことなのです。

北洲のスタイリングブック「Good Ageing」をご覧になる織田氏

 よく学生に言ってきたのは、カップラーメンを食べるのもいいけれども、アルバイトしたお金を貯めて、たまにはちゃんとしたレストランで食事をしなさいと。そしたら、そこで働く人の美しい所作も見られるし、店舗の設計・デザイン、器などもよくわかる。そういう体験で自分の感性を磨くことを若いうちからやった方がいいと、ずっと言い続けています。 

村上 住宅会社としては、ご家族の食べるもの、草刈り、お花などを暮らしの中で子どもに見せる機会を推奨したり、一緒に体験したりしながら感性を養うことをお手伝いできればと。

織田 そうです。だからていねいな暮らしがものすごく大事になるのです 。

 磨き込まれた室内の様子や、玄関や庭先を先生ご自身が掃かれるお姿を拝見し、ていねいな暮らしの美しさを実感しています。

織田 掃除に掃除機やルンバを使うのもいいけど、私自身はそれは嫌なんです。ほうきと塵取りでていねいに掃除をしたい。体を使ってすることは達成感がありますね。ちょっと不便でも、それが人間力を維持する、より強めてくれることにつながると思っています。長年、掃除も草刈りも全部自分でしてきましたが、歳をとった最近は腰も痛いし、自然と共にある生活を維持していくのが困難になり始めています。

 このお宅は別の方に引き継がれるとうかがいましたが。

織田 この9月いっぱいで次の方にお引き渡しします。売る側の責任として、よいコンディションでお引き渡しをしたいと思っておりますので、設備関係を全部新しく取り替えました。家具やコレクションはデザインミュージアムの構想が進む東川町に寄贈しました。

 お引き渡し先のご夫妻はとてもおもしろい、クレバーな方たちで、同じ敷地の中にご自分たちの住まいを建てて、ここは住空間を見せるリビングデザインメディアとして一般公開するようにしてくださるそうです。家具メーカーや家具工房が集積し、デザインの発信に力を入れている旭川市、東川町と力を合わせ、このエリア一帯が日本のデザイン文化の発信地になってくれるといいなと思っています。

 私は今、人生の最終盤を迎えておりますけれども、デザインミュージアムを日本に作る取り組みに参加し、私自身が人として生まれてきたことの意味を実感できる幸せを感じています。

村上 織田コレクションと織田邸を見せていただき、素晴らしいお話を先生から直接伺うことができた私たちこそ今、幸せを感じています。ほんとうにありがとうございました。

【編集後記】

織田邸を訪問することが決まり、ワクワクが止まらない状態で移動し到着しました。

8月末でも残暑が続き、この日も暑かったですが、木陰には秋の気配がありました。織田邸の駐車場に着くとエゾリスが迎えてくれ、この建物が小高い森の中にあることにまず感動しました。

 風除室からこぢんまりとして優しい気持ちになれる玄関を進み、アアルト、前川国男、ウッツォンなど、いい家のエントランスはいつでも小さくて天井が低いことを実感。「いらっしゃい」の温かさを感じられる織田邸のインテリアは北欧家具、主にデンマークのもので統一されています。

 シーリング照明の多い現代ですが、天井に照明はなく、ペンダント照明は低くてスタンドとほぼ同じ水平ライン上にあり、日没時間に合わせて「照明を楽しむ」ことをあらためて学びます。いくつかのコージーコーナーにバランスが絶妙な照明があり、目をひきます。コンクリートブロックの壁に希少価値の高いヴィンテージを日常で使い、それらはすべて計算された統一感です。織田さんご自身のセレクトで李朝時代や、相当に古い道具が飾られ、それらが見事に調和しています。名作家具といわれるものは、作った人の想いが強いものと組み合せることの相乗効果で互いに引き立てているような気がします。

 このご自宅は9月に次の方に引き渡すとお聞きしました。デンマークモダンの最高傑作と、自然の中で営まれる丁寧な暮らしぶりを見せていただき、本当に感謝しています。

 モノの流通・情報・コミュニケーションの速度は圧倒的に速く便利になりましたが、同時に幸せになったとは言いにくい現代です。美しいものをそれが映える場所に置くこと、使ったものは元の位置に戻すこと等が片付けの基本だと織田さん。住居もものも本物であるからこそ大切に美しく使うことができ、次第に愛着が募っていく。それを次の世代や、違う誰かが受け継いでいく、そんな末永く続いていくサスティナブルこそ幸福のヒントといえるのだと、深く納得できるインタビューでした。

菅 努 記